山川陽子さん (高森台在住・1947年生まれ)
おしゃべりをしながらも、指先だけはくるくると器用に動いている。大島紬の古布で作った細いループが、あれよあれよという間に可愛い小さな玉になった。チャイナ服のボタンでよく見かけるあの「花結び」だ。配色の良いもう一本のループの中央にその可愛い玉を糸で留めつけたら、素敵なチョーカーが出来上がった。
ループを右にやったり左にやったり、通したり…結んだり…。そうこうするうちに、今度はブローチが出来上がった。作る形が頭にあって手を動かしているわけではなく、手が勝手に動くんだそうだ。大島のループを手にしているだけで、次から次へとアイディアが湧いてくるという。
大島紬を身につけるようになって健康を取り戻した自らの経験を人にも伝えたくて、大島を使ったアクセサリーや小物の作品作りに精を出す。彼女が「手あそび」と称する作品群は、日本古来のシックな雰囲気の中に現代のエッセンスが入り、もはやリフォームの域を超えた作品になっている。
手先が器用で、アイディア豊富なこの人の手にかかると、捨てられる運命のどんなものも見事に甦る。今でこそ古布のリフォームが人気だが、これほどの人気が出る前から彼女は洋裁の技を生かして着物を洋服に仕立て直していた。
「もったいないが先になり、どんな物も捨てられないのよね」
自分でリフォームした洋服を着て外出すると、「あら、素敵。私にも作ってよ」と友人たちが古い着物を持ち込む。残り布でブローチ・ネックレス・小さな袋などを作って、依頼してくれた友人たちにプレゼントした。「え!これもできたの?」。驚きの中にもうれしそうな顔をしてくれる友人たちを見るのがまた楽しかった。それが、着物地でのアクセサリー作りの最初。
20年前、ガラス細工のトンボ玉を4年ほど勉強したことがある。バーナーでトンボ玉を造り、様々なアクセサリーとして仕上げた。だが、思うような作品作りはできず壁にぶち当たった。ある時、半分に割れてしまったトンボ玉をやっぱり捨てきれず、イヤリングにして耳につけていたら「あら、素敵!どうしたの?」と、またもや友人たちの声。アクセサリーのリメイクができることが知れ渡ると、今度はデザインの古くなったアクセサリーや片一方だけになってしまったイヤリングを「何とかして!」と持ち込まれるように。友人たちの間で彼女流のアクセサリーのリフォームは大うけ。自分にはリフォームの方が性にあっていると思った。
いま、古布でのアクセサリー作りの素材として「大島紬」にこだわる。なぜ、高価な大島紬なのか。
彼女は15年ほど前にバイクで転倒した。医者の診断は「何でもない、シップで治る」。でも、完治はしなかった。いつも足をかばうようになった。3年前に雨の山道で再び転んでしまった。痛みに耐えかねて診察を受けたら「半月板が割れ、かけらが神経を触っている」という。ステロイド剤を使った治療が始まる。アトピーで苦しんだ
二人の息子を持つ親としては「ステロイド剤」に拒否反応を持たざるを得なかった。他の方法での治療を試みたかった。良いと言われることは、何でもやってみようと思った。
オーダーをした靴を履き、杖をついて足の負担を軽くした。マッサージや鍼灸にも通った。ある時、大島紬の特性として軽い・暖かい・抗菌作用があるということを知った。「君の体には大島がいいから…」という知人の薦めもあって、大島紬の古布を探しては洋服に直して身につけるようになった。冬も大島のズボンをはく。それはフリース一枚ぐらいの暖かさだという。足裏敷きも大島で作り、靴下に重ねる。スカーフを巻きアームバンドもする。もちろん大島で作ったものだ。今、痛みからは解放されている。友人たちとの旅行も楽しめるようになった。「この間ね、大阪を5時間も歩き廻っちゃったの」。自分でも不思議という顔をして笑った。
鉄分を多く含む奄美の泥や草木(テーチ木)で何回となく繰り返し染められる大島紬は不思議な力を持つと言われる。7時間でも8時間でも手仕事が続けられ、肩こり一つしないのは、そんな漢方薬と鉄分を多く含む織物であるからこそと思っている。
大島紬の見えざる力はともかく、彼女の指からスルスルと生まれ出る古布の世界は楽しい。
いま、彼女は2枚の名刺を持つ。「古布あそび」と「仕立て屋“陽”」。
大島紬の伝統や底力をこの2枚看板で伝えようと思っている。