西山貴美子さん(中央台在住・1951年生まれ)

   

  エキスパネットの登録者の中でこれ程多様なことができる人は少ないと思う。朗読・日本語教育・絵手紙・篆刻(てんこく)。そのどれをもボランティアで教え、生かす。一見何の脈絡も無いように見えるそれらは、実は「言葉」というキーワードで繋がる。
 小さい頃から声を出して本を読むことが好きだったせいか、これまでの人生において、興味の中心にはいつも「言葉」が隠れていた。
 「言葉を意識してたわけではないけれど、あれも知りたい、これも知りたいと関心事に出会うたびに勉強してたら、こうなっちゃった…。う〜ん、わたし、知りたい病かも…」 
 大学進学を前にプロポーズされ、18歳で結婚。そしてすぐ出産。こどもが幼稚園に通うようになれば、保育とはどういうことかが知りたくなって通信教育で保育の勉強をした。せっかく勉強したんだからと保育士の資格も取った。
 「子どもがいるからできない」は言い訳に過ぎない。それに、社会を知らないまま家庭の中だけで過ごしたくなかった。夫に「働きに出ます」と宣言をしたのが29歳。人間関係の難しさを思い知らされながら、保育士の仕事を3年、歯科医の窓口業務を10年勤めた。
 「窓口」は医院と患者さんを繋ぐ大切な仕事。言葉一つ、言い方一つで人間関係が上手くいったりいかなかったり…。言葉の大切さを痛感。中国人やポルトガル人の患者さんもあった。多少の英会話はできたものの限界を感じる。「きちんとした日本語を教えてあげられたら…」。想いは一気に膨らんだ。
 仕事を続けながら「日本語教育」の勉強を通信教育で始めた。勉強をするうちに、もしボランティアで教えるにしても、これまでの自分のキャリアでは不安と、今度は教員資格の必要性を思う。
  「大学に行こう!」
 下の子が二十歳を迎えていた。自分の転機でもあると思った。家族に内緒で愛知県立短期大学の英文学科(夜間)を受験。合格してから夫に「どうしてもやりたいことがあるので3年間だけ我慢してください」と話して、大学生になったのが42歳の春。情熱を押し通した。
 夜間を選んだのは家事もできるしアルバイトもできると思ってのこと。貪欲なまでに単位を取った。「取得単位数は歴代一番かもしれない」と、いたずらっぽく笑う。

 当時、そこまで勉強をしてなお時間は余っていたという彼女、東部市民センターで「篆刻」の同好会が始まることを知ると、篆刻を学んでみようと思った。小さくとも存在感があり、白と赤の微妙なバランスが美しい。小さなスペースに言葉(文字)を彫る歴史ある文化に触れてみたかった。我を忘れて石と向き合う時間は何より楽しい。学び始めて4年目には「毎日書道展」に出品。入選はこれまでに幾度も。

 42歳、大学入学の年は「知りたい病」のピーク。機会があれば、いつか学びたいと思っていた「朗読」の勉強会が東部市民センターで開かれると知り、チャンス到来とばかり入会した。さらに9月には「絵手紙講座」にまで手を伸ばすことになった。
 ところが「絵手紙」だけは自ら学ぼうと思って学び始めたものではなく、絵手紙講座の参加者不足を補うための「サクラ」での参加がきっかけだったという。
 「大嫌いだった絵だったのに、付き合いだけはいいほうだから、断れなくて参加したのね。そしたら先生から『言葉がいいねぇ!絵ものびのびしてて、いいじゃない』って誉められちゃったの。天にも昇る気持ちだったわ。誘ってくれた友達にも感謝よ」。
 それから毎日、台所で絵手紙を描きつづけた。今では教育ボランティアとして絵手紙を小学校で教え、福祉施設ではお年寄りに、PTAのふれあい教室ではお母さんたちに教える。
 コンサートや結婚式で司会をこなし、朗読を指導することもある。名古屋の国際プラザでは外国の人たちに日本語を教え、時には図書館で「音声訳」のボランティアもこなす。請われて「はんこ作り」と称して篆刻の先生役をすることもある。有償・無償のボランティアで毎日が忙しい。自分のできることで役に立てていることがうれしい。
  
 朗読が好きだった一人の少女が結婚し、社会の中でコミュニケーションをとる上での重要なこととして学んだことが「言葉」だった。だから関心事のなかにはいつも「言葉」が介在し、多面的に「言葉」を学ぶことになった。
 自分のできることは小さいかもしれない。でも、学んだことを気持ちよく人に伝えたいと思う。結果、それが社会の役に立てればいいと思っている。
 
 左の写真は「刻字」初挑戦の作品「壺」。気分転換のつもりで、計算外の面白さを狙い左手で字を書き、のみと木槌で木に彫った。