芦田迪子さん(石尾台在住・1942年生まれ)

 自分探しは子育て一段落後の30代後半から。興味や関心のあるものへの関わりの中で最終的に見つけたキーワードは「地域の子ども」だった。
 市内の小中学校で「心の相談員」として子どもたちの悩みや相談にのり始めて7年が経つ。偶然立ち寄った玩具屋さんで、相談室によく顔を出してくれた子どもが元気に働く姿を見たことがある。「わたし、ここでアルバイトしてるの」と再会を満面の笑みで喜んでくれる。成長した子どもの姿を見ることが出来るのも、自分の住む地域の中での活動だからこそと、うれしく思う。修学旅行のお土産だといって大仏さんの携帯ストラップを持って恥ずかしそうに届けてくれた子どもの姿は忘れられない。

 自分の関心が視覚障害者のためのテープ図書作りから「朗読」に広がったのが40歳のころ。気の会う仲間たちとの朗読勉強会は20年以上続けた。その間、NHKの巡回朗読セミナーには毎年参加。それは今も続く。東京まで出かけ、泊りがけで、NHKの朗読のリーダー研修セミナーに参加したこともある。
 子どもたちを前にして本を読み、紙芝居を見せる。話の中にぐんぐん入り込んできてくれる子どもたち。輝く目。終わった後の子どもたちの反応の多様さを見る面白さ。心が満たされる。子どもたちと、もっと多く接したい。もっと深く関わりたい。そう思い始めていたころ、「子どもたちに日本昔話など色々なお話を聞かせてやりたい。そして声に出して読む大切さを子どもたちに伝えたい」と考える小学校の校長先生に出会う。

 藤山台小学校で“読み聞かせのおばさん”として学校から招かれるようになったのが1996年。そんな中でカウンセラーの勉強経験もある彼女の目に映ったのは、どこか気になる子どもたちの姿。
 国の制度として「心の相談員」が出来た1997年、藤山台中学の相談員として週10時間(3日間)、学校に詰めるようにもなった。
 喧嘩っぱやくて先生をてこずらせる子どもが相談室を訪れ、「将棋やる?」と声をかけてくる。「知らないから教えて」と言えば、辛抱強く何度でも教えてくれる。そんな子が愛おしくてならない。相談員として小中学校の子どもたちと関わるうちに、家庭や学校で色々な問題を抱える子どもの姿がよりはっきりと見えてきた。にもかかわらず「心の相談員」としての限界を強く感じる。子どもたちが相談室を訪れることが出来る時間帯はわずか。下校時間が来ると子どもたちは否応なく下校させられてしまう。相談員には任期もある。ようやく心を開いてくれた子どもとも、すぐ別れがやって来る。限られた時間でいったい何が出来よう。上っ面の付き合いしか出来ないことが悔しい。子どもたちは声をかけてもらえば文句なく喜ぶ。親でもダメ、先生でもダメな子どもたちに第三者的な立場の人間の存在は必要。ワンクッションおいてなら話しやすいはず。子どもたちは自分のことを聞いてほしいばかりなのだ。他人だから「言える」「聞ける」ということがあるはず。そう信じる彼女は、今の制度の見直しを願う。

 60歳を過ぎた今、これからも子どもと関わっていきたいと思う。それには健康が第一。スタミナ不足を補うために毎朝40分をかけて行うストレッチ体操は20年も続ける。それは、足の裏の指圧から始めてヨガや真向法、さらに本やテレビで仕入れた健康法すべてを取りいれたオリジナルメニューだ。夕方も早足で40分ほど散歩する。「根気のいいのは…性分かな?」と笑う。 「子どもたちにしたって、少しでも若いおばさんに相談した方がいいでしょ!子どもたちのためにも若さを保たなきゃネ」。
 まずは子どもたちのためなのだ。そして心の聞き役、励まし役を続けることで子どもたちから「笑顔」という報酬をいっぱいもらいたいと思っている。
 

 (写真は藤山台小学校での読み聞かせのボランティア。20分放課に子どもたちは図書室にやってくる。子どもたちも役割を決めて紙芝居を読む。紙芝居を楽しむ一方、参加する喜びと自信も得る)