水野純子さん(乙輪町在住・1963年生まれ)

 「できる人が、できるところで、できることをする」。
 脳性麻痺で体の不自由な娘を通わせていた柏井保育園の浅井順子園長(当時)から、水野さんが聞いた言葉だ。「母ちゃん一座」の座長を務める今も、その言葉はずっと心の真ん中にあり続ける。
 保育園では親たちが文庫活動をしたり、読み聞かせをしたり、本の貸し出し業務などを手伝っていた。「自分も何かをしたい…自分に出来ることは何?」。自分の来し方を思った。
 声優への夢を心にしまいこんだまま結婚し、第一子誕生後に夢の実現のために巣山プロの養成所通いをしたこと。プロとして仕事をこなすうち、自らの手で舞台を作り上げることへと夢は変わっていったこと。しかしその夢もまた、第二子として未熟児で誕生した娘に障害が見つかった時点で心の中にしまいこんでいた。プロの役者としての経験がよみがえってきた。障害を持った子を含め、保育園児を主役にしたお芝居を作って少しでも多くの人たちに「障害」のことを知ってもらえたら…。
 思いを園でぶつけてみると10名ほどのお母さんたちが集まってくれた。みんなの心はいつしか「芝居作り」へと向った。彼女の夢が再び花開き始めた。
 現在の「母ちゃん一座」は娘の卒園を機に「柏井保育園・母ちゃん一座」から独立させたもの。一座を引っ張って早くも4年が過ぎた。

   取材の日、公演を目前にひかえた「花さかじいさん」の稽古は最終段階に入っていた。彼女はテープを回し、効果音を入れながら「違う!違う!台詞をかぶせちゃ駄目」「視線はこっち」「お餅がくっついているんだから、杵ってそんなに簡単に上がらないはず。もっと重そうに」と駄目だしをしていた。傍らでは布にアクリル絵の具で背景を描いているお母さんたち。どの目も輝いて楽しそう。笑い声が絶えない。雰囲気は高校の文化祭。違うのは、みんなの前で当たり前に胸を開けておっぱいを含ませるお母さんや、走り回る子どもの後を追いかけてオムツを取り替えるお母さんがいること。
 共有する時間を楽しみ、一つのものを創りあげていく喜びを知り、自分以上に「母ちゃん一座」にはまり込んでいる仲間達を見るとき、「自分のやりたいことは、ここにあった」と、つくづく思う。
 口コミで広がった評判で公演依頼は次から次。
 仲間は仕事を持った主婦や乳児を持つお母さんまで総勢26人。依頼を受けても全員が集まれるはずはない。それぞれの都合にあわせてキャストやスタッフは入れ替わる。「できる人が、できるところで、できることをする」の言葉が生かされる。それは、一座の原則であり継続の秘訣。

  今の時代、伝えるべき大事なことがたくさんあると思っている。それを、芝居、人形劇、スライド劇、絵本の読み聞かせなど多様な表現方法で子ども達に伝えたいと思っている。障害をもつことの大変さではなく、「障害をもつということがどういうことであるか」も知って欲しいと、時にはオリジナル作品を書く。シナリオは大声で台詞を言いながらパソコンでつくり上げる。その傍らには「どんな風になっていくのだろう」と完成を楽しみに待つ娘と息子、そして応援団の夫がいる。
 もし娘がいなかったら、「母ちゃん一座」は生まれていなかったかもしれない。
「今の自分があるのは、周りのみんなのおかげ、娘のおかげ」と感謝する。