木村健児さん(如意申町在住・1943年生まれ)

 アロハシャツに身を包み、首にはレイを掛け、歌いそしてスティールギターでハワイアンメロディーを奏でる。その姿に、生真面目さが漂うのはサラリーマン時代の名残かもしれない。先月、視覚障害の方たちを前に40年前に流行った懐かしのメロディーをバンド仲間と演奏をした。一曲終わるごとに大きな拍手。その拍手でようやく笑みがこぼれる。
「いやぁ〜、こうして喜んでいただけるなんて、うれしいです」
 サラリーマン時代とはまた違った充実の時間を楽しむ。

 2002年に定年を迎えた。その少し前、会社で青春時代を共に過ごしたバンド仲間の一人と偶然出会った。「ハワイアン、また、やりたいね」「やろう、やろう」「一度、音でも合わせようか」と話はとんとん拍子に進み、カラオケボックスを借りて小さな部屋に集まった。定年後の生活が楽しくなりそうな予感がした。定年組と現役組が一緒になって「マウイ・アイランダース」は35年の時を超えて再びよみがえった。
 再結成後、某大手会社の創立35周年記念イベントに招かれ、名古屋の「白鳥ホール」で演奏したこともある。だが、今のところは老人福祉施設や近隣のイベント会場などでの演奏が中心。今年9月には三ケ日にあるライブハウスから依頼を受け、僅かでもギャラを頂いての演奏もした。「初めてのことでしょ。緊張したけどお年寄りの前での演奏とは違う楽しさがありましたよ」。ギャラはバンドの費用として貯金をした。

 子どものころから歌は大好き。本人は気がついていないと思うが、取材の最中にも小さな鼻歌が漏れるのを私は聞き逃さなかった。無意識のうちに歌が頭の中をかけめぐっているようだ。中学の頃には、長兄の影響でアコースティックギターをボロンボロンとかき鳴らしながら歌って遊んだ。 ハワイアンが好きな友人の影響で本格的にスティールギターに向き合うようになったのは高校の頃。
 高校を卒業して大手自動車部品メーカーに就職。時あたかもハワイアン全盛。社内の部活として音楽好きの仲間とハワイアンバンドを結成。ところが、結成から5年もすると部署移動や転勤などで仲間たちは離れ離れになった。時代はバブル期に突入。仕事の責任も増し忙しくなるばかり。バンドは自然消滅。でも好きなハワイアン。好きな歌。バンド演奏こそしなかったが、木村さんから歌や音楽が消えることは無かった。

 1993年、春日井市制50周年のときに「春日井第九合唱団」ができると知り応募。以来毎年第九を歌ってきた。今では役員も引き受ける。発声の基本をここで学び、再結成したマウイ・アイランダースの仲間たちにそれを伝える。少しでも良い演奏がしたいと、教えたり教えられたりして腕を磨く。今年2月には、春日井の民話を題材にしたオペラ「白山椿」にも出演した。 

 退職はしたものの、キャリアを買われて週三日は関連会社で働く。「いま、パートのおじさん」と笑う。だから多忙。それもその筈。既成の楽譜では面白味にも欠けるし、メンバーの音域に会わないからと、バンドで使う楽譜は全て木村さんのオリジナル。パソコンを駆使してつくりあげる。時間はかかるが、この作業も充実のときだ。
 演奏会は全てビデオで記録する。ビデオは反省材料を見つける最大の武器。演奏中一生懸命になりすぎて笑顔が出ないのも、ビデオを見れば一目瞭然。「リラックスしてもっと笑顔で演奏しなければね」と、みんなで納得できる。編集するのは「春日井ビデオクラブ」のメンバーでもある木村さんの役目。「これも楽しい作業でねぇ」。趣味でやっていることが全てバンドに生かせることが嬉しい。

 今、練習は2週間に一度。現役組は仕事が終わってから練習場に駆けつける。みんなで、「ああでもない、こうでもない」と批評しながら演奏技術に磨きをかける。でも、それだけでは物足りない。プロに自分たちの腕前を客観的に見てもらう機会が欲しいと願う。12月にはバンドコンテストに出るつもりだ。他のジャンルの人たちや若者たちと腕を競う予定。多くの人に自分たちの演奏を楽しんでもらうという喜びだけでなく、演奏のレベルアップこそが、これからの人生の充実につながると確信する。
 青春いま再び。リタイア後の人生悔いなし。