栗原誠さん(大泉寺町在住・1969年生まれ)

 4年前「アイディア勝負の木工屋」と題して他のメディアで紹介したことがある。当時、まだ30歳。会社の倒産で職を失い、行く末を「物づくり」の道へと転向し、木工屋としてようやく一人歩きを始めたばかりの頃だった。栗原さんなりの自然への思いやりや慈しみの心をこめて、独学・我流で廃材や古材を使って「再生古材家具」を作っていた。
 時代を先取りしていた時はよかったが、廃材や古材そのものが商品価値を持ち、ビジネスとして成り立つ時代になった今、自分の作るものが「流行りもの」と見られることに抵抗を感じるようになった。芸術家ならともかく自分はそうではない。自分なりのデザインを追求し、長く使ってもらえる家具作りを心がけたいと思うようになった。
 密かに目指すはイタリアのモダン建築の巨匠ジオ・ポンティの家具。世界の名作といわれる椅子「スーパーレジェーラ」にあこがれる。
 今も、取り壊される家から出た廃材や古家具を素材として使う場合もある。でも、もう、そのことを強調はしない。「環境のことを言ったり、古いものを大事にするというなら、家ごと残すのが本来だと思うんです」。廃材や古材を生かす前に考えるべきことだと言う。
 

  今春、仲間と共同で使っていた御嵩町の工房を出て、自分ひとりの工房を持った。場所は桃花台ニュータウンの近く。3か月かかって一人で作り上げたというその工房は桃畑の中。ホームセンターで買った単管パイプを柱にして波板を貼り付けた。あとの材料はほぼ貰い物。台風が来たときは壊れるのではないかと心配したが、持ちこたえた。
 「いや〜、お金の無いことは4年前とちっとも変わらないんです」と笑った。
  お世辞にも立派といえない工房の中央には、幅3メートルもありそうな大きなサイドボードがあった。リビングにあわせた機能中心のサイドボードをオーダーされたものだという。タモと桐の無垢材を使ったそれは、シンプル。それでいて存在感がある。木工屋どころか、もう立派な家具屋だ。ところが本人は「まだまだ」と、いたって謙虚。

 工房を自宅の近くに移した最大の理由は家族との生活。第2子の出産にはどうしても立ち会いたかった。ここなら車で10分。長女とともにこの春、長男誕生を見届けることができた。夫として、二人の父親としても充実した時間が取れるようになった。
 自宅の庭には石窯を手作りした。それで毎週パンを焼く。こだわりの暮らしに見えるが、本人にそういうつもりはさらさら無い。ガス代や電気代がもったいない。薪ならいくらでもある。多少高いオーガニックの小麦粉を使っても家族4人分のパンの材料費はしれている。安くって、美味しくって、安心して食べられるなら、そんないいことはない。ただそれだけのこと。こだわってのパン作りではないと強調する。子どもから「給食のパンより美味しい!」と言ってもらえるのがなによりうれしい。
 「“こだわり”って言葉、好きじゃないんです」。家具作りからも“こだわり”を捨てようと思っている。範囲が狭まりそうな気がするのがいやだという。もちろん古材や廃材も必要なら使う。必要なら必要。良い物は良い。理屈ではなく、もっと自然体で事を運びたいと思う。

 中部大学の内藤研究室であこがれの「スーパーレジェーラ」に出会った。一見華奢なのに丈夫。言われているように、本当に小指で持ち上げられるほど軽かった。そしてデザインには品格が漂う。機能と美を極限まで追求した作品としてジオ・ポンティが発表以来、半世紀近くにわたって人気の衰えない椅子を目の前にし、心惹かれた。日本の作家では黒田辰秋の作品が好きという。こちらは逆に線が太い。でもやはり作品には品がある。目指すは「品格」。

  高校時代、故郷の松江市で松食い虫の被害を受けた山の姿を見て心を痛めてからすでに20年余り。今も時折り赤茶けた山を思い出す。
 自然への思いやりや慈しみをもった「物づくり」と暮らしぶり。そして、この人の周りに漂う穏やかでゆるやかな空気は今も変わらない。それは作品に表れる。

 11月にはギャラリー「ゆんたく」で作品展を開く。 

 










左上の写真は2003年の作品。古たんすの引き戸と古家からもらった「すす竹」を使った一輪挿し。
椅子は木工屋を目指し始めた頃の試作品。