鈴木健一さん(東野町在住・1972年生まれ)
最初に出会ったのは、この人が27歳の時。車椅子バスケット(ツインバスケットボール)の取材で総合福祉センターの体育館を訪ねたときだ。大きな体を車椅子に委ね、不自由な手でボールを投げていた。その姿は、まだどこか頼りなげだった。しかし今回、久々に出会った彼は見事にたくましくなっていた。
その日、白山小学校(春日井市)の体育館で大勢の子どもたちを前に、“福祉体験学習”の講師として、車椅子に座って進める授業は、プロの教師にも引けを取らない堂々さ。「新米ですが、僕の話を聞いてくれる人の年齢を考えて、内容や組み立てを変えているんですよ。最近は講演会なんかにも出かけて、話し方の研究もして…」。まじめで前向きなところは、ちっとも変わっていなかった。
中学1年生の時のプール事故で頚椎を損傷。四肢完全麻痺。2年にも及ぶ入院生活。もっとも多感な時代に背負った中途障害。家族の支えと懸命なリハビリで車椅子バスケット(ツインバスケットボール)ができるまでになったが、そこまでへの道は想像に余りある。
前向きの人生へのきっかけは、自分以上にもっと不自由な体を持った人の存在を知ったこと。「自分には、まだできることがいっぱい残っている」。その気づきが、この人を大きく変えた。
養護学校の高等部の頃から、自立のために必要な資格をいくつもとった。そして産能短大の税理士コースを通信教育で卒業。 今、名古屋の”愛知頚椎損傷者連絡会”の役員を務める。この会では、ガイドヘルパーや移送サービスの活用法を学んだり、就労の機会を増やすための勉強会を開いたりする。会報の発行もしている。
文章を書くのは大好き。障害者の思いをひとりでも多くの人に知って欲しい、自分の世界も広げたいと、新聞やラジオへの投稿をまめにするのは以前から。最近では、インターネットを駆使して情報の受発信をする。格段に世界は広がった。所属するツインバスケットボールチームのHPも自らの手で作った.
今年になって、市内の小中学校から「福祉体験学習」の講師依頼が舞い込むようになった。6月のスケジュール表は3日連続という週もあった。講師として少しでも良い授業がしたい。そう思って、今「話し言葉教室」にも通う。参考になればと、機会を見つけて講演会やイベントにも参加する。3月には白血病と闘う吉井怜さんのイベントを見に岐阜までひとりで出かけた。彼女の生きる姿に感動。健康体を奪われた者同士だからこそ分かり合えることも多かった。そしてファンに。彼女から多くのことを学べたと思っている。
ここ数年、障害者理解がうんと深まったような気がしている。その立役者はやはり乙武洋匡氏とホーキング青山氏。少しでも近づきたいと思う。障害だって百人百様。障害者だからこそ伝えられること、鈴木健一だからこそ伝えられることを、ひとりでも多くの人に伝えていきたいと思っている。